市内の学校の入学式では八分咲きだった桜が散り始めた、四月最初の日曜日。魔界の術士達が復元した皐月家の自分の部屋で優香は花見に出掛ける支度をしていた。
「それにしてもスゴいなぁ~」
 薄手の上着を羽織って、窓の外を見る。そこから見える光景は去年の七月にこの家を出たときとまるで変わっていない。雪の降る中、モウンを説得しに向かうときに見下ろした崩壊した町並みは綺麗に元に戻っていた。その板塀の向こうの路地を春休みの子供達が駆けていく。
 部屋を出、縁側を行く。庭に面した障子をそっと開けると、いつものように写真立てを並べた座卓で新聞を読んでいるモウンがいる。
「ん? もうそんな時間か?」
 自分を見て、露骨に安心した顔をする優香に苦笑いしながら立ち上がり、タンスから上着を出す。
 ここに帰ってきてからの優香の日課は朝一番にモウンの部屋に行き、彼が無事でいることを確かめることだ。土童神社で目覚めてから、一度も不調になったことはないのだが、やはり、あの砕け散った姿を見たせいで確かめずにはいられない。
『それだけ、優香を心配させたわけだからな』
 と、モウンは好きにさせていてくれている。
「じゃあ、行くか」
 二人で台所に向かう。台所ではいつものようにアッシュがコンロの前に立ち、エルゼが出来上がった料理を重箱に詰めている。肉団子に唐揚げ、だし卵焼き、エビフライ……重箱は家を出るときに『せめてこれくらいは』と彼が引っ越しを手伝ってくれた人達の分の昼食も詰めて、渡してくれたものだ。帰ってくるときに一緒に持って帰ったそれに、また、あの日のように色とりどりのご馳走が詰められていく。それを面映ゆい思いで見る優香の頭にモウンがポンと手を置いた。
「美味そうだな」
「アッシュが久しぶりに皆で揃って出掛けるんだから、って張り切っちゃって」
 他に甘いものとして桜餅や苺のミルク寒天ゼリー、重いものは食べられない妊娠中の妻の為にサラダチキンや野菜の生春巻きにカットフルーツ、様々な具のおにぎり等々がテーブルいっぱいに並べられたタッパーに入っている。更に鍋からポットにスープを注ぐアッシュに
「……こんなに食べられるかな……」
 思わず呟くと
「瑞穂に和也、法稔くんにお玉が来るし、シオンと玄さんが帰ってきたから大丈夫よ」
 エルゼが楽しげに答えた。
「そうだった」
 シオンはモウン達を救出する為に老王の隠居所を訪れ、体調を崩したアルベルトを気遣って、玄庵はディギオンと共に『三界不干渉の掟』破りで訴えられた明玄の為に、この一月、こちらの世界と魔界を行き来していた。その二人が今朝帰ってきて『じゃあ、ボク達が場所取りしてくるよ』とブルーシートを手に市内の花見スポットの公園に向かったのだ。
「さっき、二人から瑞穂ちゃんと和也くんと麿様が着いたと連絡がありました」
「そうか。ならば早く行かんと。麿様をお待たせしては失礼だ」
 モウンが台所の床に置いてあった茣蓙(ござ)や飲み物の入ったクーラーボックスを担ぐ。優香は詰め終わった重箱と「これは麿様に」と渡された桜の飴湯の入ったポットを抱えた。
「お前達はゆっくり、気をつけて来いよ」
「勿論です」
 タッパーに蓋をしながら、アッシュが当然といった顔で頷く。ディギオン捕縛の間、妻とお腹の子に側にいられなかった彼は、魔界に帰った義姉夫婦が呆れるほど過保護に食事や身の回りの世話を焼いている。少しくすぐったそうに嬉しそうにエルゼが艶やかな笑みを浮かべた。

 家を出、柔らかい春の日差しを浴びながら歩いていくと淡いピンクに染まった公園が見えてくる。青空の下、満開を少し過ぎた桜がちらほらと花びらをこぼし、地面には小さなピンクの吹き溜まりが出来ていた。
「今年も見事なものだな」
 シオンにスマホのTalkアプリで場所を教えて貰い、煉瓦張りの通路を行く。桜の並木の下にいくつもシートが敷かれ、花見客のグループが盛り上がっていた。
「……でも、いつもより少ないね」
 街は完全に直ったものの、まだ全ての住人が戻ってきてはいない。今年最後の花見日和にも関わらず、公園は例年ほど混んではいなかった。
「事件の記憶の改竄と同時に元住人達の感情を誘導して、街に帰らせると室長が言っていたからな」
 寂しげな顔をする優香の肩をモウンが慰めるように軽く叩いて、人々の間をぬい、大きな桜の木が枝をはる広場へと向かう。
「班長! 優ちゃん!」
「こちらですぞ」
 明るい少年と落ち着いた老爺の声が聞こえてくる。公園で一番古い桜の下にブルーシートを敷いて、シオンと玄庵が呼んでいた。シートの上には、こちらは和也が持ってきたのだろう。小さな茣蓙と座布団が置かれ、その上にちょこんと麿様が、横には瑞穂が座っていた。
「場所取り、ご苦労様」
 早速、担いで持ってきた茣蓙をシートの上に敷き、ずっと外にいた二人に暖かいコーヒーとお茶を渡す。
「これは麿様。お待たせ致しました」
「いや、麿もつい先ほど着いたところでおじゃる」
 モウンはまず麿様の前に正座し、深々と頭を下げた。
「二市の修復に地の御力を頂き、ありがとうございました」
「なに、ディギオンをこの地に封じたのは麿でおじゃる。自分の責を果たしたまでのこと」
 早い街の修復は土地神として、術士達に自由に地力を使わせた麿様のおかげもあった。礼を言うモウンにふりふりとスコップのような前足を振る。
「麿様、どうぞ」
 優香が渡した桜の飴湯を瑞穂が紙コップに入れて差し出す。麿様が黒い目を細め「甘露、甘露」と嬉しそうに針のような口で啜る。
「ところでシオン、アルベルト様の容態はどうだ?」
 モウンが重箱を開け、手を伸ばし掛けたシオンの後ろ頭を一発殴って訊いた。
「あてっ! あ、はい。もう起きられるくらいに回復されました」
 滞在した隠居所で熱を出したアルベルトは自分の城に帰った後、一時危ない状態だったらしい。だが
『折角、『悪魔』が去ったのに魔界の平穏の要の一角が崩れては困る』
 魔王と冥王がそれぞれ配下の優秀な魔法医を派遣したのもあって、徐々に容態が持ち直し、今は身を起こせるくらいに回復した。ここ一月、魔界と連絡を取り、向こうに頻繁に行っていたシオンの顔が随分、明るくなっている。
「それは良かったな」
 朗報にほっと安堵の息をついたモウンは次に「明玄はどうなった?」と玄庵に尋ねた。
「奴はディギオンと違い、冥界で罰を受けることとなりました」
 魔界で重罰を受けるディギオンに対し、明玄は冥界に送られ、魔導王の二つ名を持つ王の下僕となるという。
「シオンに淀んだ魔力を綺麗に洗い流されたまま、かの王の持つ数多の魔導書を治めた図書館で司書として働きます」
 王の国は海の浄化地を持つ。そして冥界は一定以上の力を持つ者が攻撃呪文を使うことを禁じるほど、術の管理に厳しい。図書館も防御や補助、回復、解呪の魔導書しか置かれていないという。
「清らかな水の力を持つ地で、救いの術に触れ、何かを感じ取ってくれればと良いと……」
 そう願う玄庵の目は微かに潤んでいた。
「玄さんの嘆願にそった温情過ぎる処分だよ。後はもう本人次第としか言えないけどね」
 蓮っ葉な声がして通路からお玉と法稔のコンビがやってくる。まだ若い明玄の術の才能を冥界側が惜しんだのもあるらしい。今朝まで向こうに行っていた二人が茣蓙の上の座る。
「はい。これ玄さんに入界管理局から」
 お玉が懐から封書を玄庵に渡す。
「この先、玄さんが明玄の務める図書館を訪れるときの為の許可状です」
 図書館は浄化地に近い為、魔族が訪れるには複雑な許可申請がいる。
「班長の申請書を添えたら直ぐに許可が降りたよ。これがあれば、一々、面倒な手続きをしなくても、好きなときに会えるからね」
「班長、ありがとうございました」
 渡された封書を押し頂くように受け取り、玄庵がモウンに頭を下げる。
「儂も度々訪れては、今度はしっかりと向き合い、共に奴にとって良い道を探そうと思います」
 そう言い切る玄庵の顔は苦悩が消え、新たな決意が浮かんでいた。

 残りのご馳走を持ったアッシュとエルゼが到着し、麿様を前に車座に座った皆に飲み物を配られる。
 時刻は丁度、正午。例年より少ないとはいえ、広場にはそこかしこで、食べ物が広げられ、乾杯の声が上がっている。
「では、まずは瑞穂の合格を祝って乾杯だな」
 コップを手に音頭を取ったモウンに
「えっ!? 事件解決じゃなくて?」
 瑞穂が驚いた声を上げる。
「いや、それは俺達の任務として当たり前のことだからな。一番偉いのはこの混乱の中、しっかりと勉強して大学に合格した瑞穂だ」
 モウンの言葉に賛同の声が続く。
「流石、麿の花の巫女でおじゃる」
 麿様が鼻高々と前足を上げる。瑞穂が照れた顔で「それなら……」と頷いた。優香がそれにもう一つと付け加える。
「今、ここに誰も欠けないで、皆が揃っていることも祝って良い?」
 見回す顔に笑顔が広がる。
「もちろんだ」
 モウンが杯を上げた、
「乾杯!」

 重箱やタッパーに箸が伸び、賑やかな話し声と共に次々と中身が減っていく。事件の話や、事件の間の生活の話、今の魔界の状況等々、尽きない話題に歓談しているうちに、どんどんと料理が消えていく。残ったものはモウンとシオンが綺麗に全部平らげていった。
「……久しぶりに見るけど、やはり班長とシオンの食べっぷりはすごいな」
 積み上げられた空の容器に和也が呆れ、瑞穂が笑う。
「……少しは晩ご飯に残ると思ったんだけどな……」
 そうやらそれも計算して作ったらしいアッシュに
「いや、これだけ食べたから晩飯は軽くていいぞ」
「うん。自分達で簡単にすますからアッシュさんの手は煩わせないよ」
 大食漢二人が真顔で返し「この後、晩もしっかり食べるんかい……」お玉が思わずツッコミを入れ、やれやれと玄庵が首を振った。
「そろそろ良いかな?」
 しっかりデザートの桜餅と苺ゼリーの容器を空にしたシオンが隣の法稔を促す。
「そうだな」
 法稔が改めて座り直すとジャンバーの内ポケットから、綺麗に包装された二つの小さな包みを出し、茣蓙の上に置いた。
「まずはこれ。ボクとポン太から姐さんと赤ちゃんへのお祝いだよ」
「法稔だ。改めて御懐妊おめでとうございます」
 シオンがそのうちの一つをついとエルゼの膝元に差し出した。
「二人ともありがとう」
 礼を言って包みを開く。途端に涼やかな冥界の浄化の気が漂い
「これって……!!」
「なんと……!!」
 二人の術士が絶句した。
 包みから出てきたのは破呪と防呪のお守りだった。赤い組紐が琥珀色の石を囲うように編まれ、飾りに白い獣の毛をよったものと黒い羽根がついている。
「ポン太と冥界の王都で良いお守りがないか探していたときに、拳士と剣士のコンビの人に声を掛けられて……」
「法稔だ。多分、死神と一緒とはいえ魔族が街をうろうろしているのを見て警戒して掛けてきたのでしょう。その御二人が『贖罪の森』の関係者でして……」
 これも何かの縁だから、と森の主に話を通して、彼女が手ずから祈りを込めたお守りをくれたのだ。
「その石と毛と羽根はそれぞれ森を守る三種族の方がくれたんだって」
 身分違いの夫婦の話を聞いて『その子が悲しい目に遭いませんように』と姫君がより強力なお守りになるように頼んでくれたらしい。
「これは……どんな強力な呪いからも間違いなく防いでくれるだろうの」
「オレからも礼を言うよ。シオン、法稔くん、ありがとう」
 エルゼが早速、肩に掛けていた義姉達に貰ったショールにつけ、そっと優しくお腹を撫でる。
「それと、もう一つ、これはお姫様が優香ちゃんに『私の願いを叶えてくれてありがとう』ってお礼にくれたものだよ」
 包みを優香に渡す。開けるとふわりとあの緑の匂いがして今度は緑の石を編み込んだお守りが出てきた。
「そんな、私の方こそ……」
『三月五日を越えても、こうして皆が笑っていられますように』
 二ヶ月前の小さな祈りをこうして無事に叶えて貰ったのに。
「……貰っていいのかな?」
「森の姫君の御好意だ貰っておけ」
 モウンにぽんと頭を手を置かれ、お守りを手に取る。多分、力を込めるときに願ったのだろう。あのときと同じ少女の声が
『貴女の望む幸せが長く続きますように』
 と耳元で聞こえた。
「うん」
 優香は頷いた。それはきっと叶う。
 『要の三界』、破壊を司る種族だからこそ、生きることの大切さを知る者達が、小さな幸せを繋ぐ愛しい時間を途切れることなく守る役目を担った者達が、優香には家族として側にいるから。
「……側にいてくれるんだよね?」
「ああ、今朝、正式な辞令が届いたからな」
 褒賞も兼ね、ハーモン班は、これからもこの世界を拠点に活動することに決まった。
「強力な班がいるからこそ狙ってくる性質(たち)の悪い輩もいるからね」
 当分の間、アッシュとエルゼは産休と育休を兼ねて休みを取り、モウンと玄庵とシオンは協力要請が来る度に他班のサポートに入ることになる。
「俺達はお前がいる限り側にいる。安心しろ」
 置かれた手がわしわしと頭を撫でる。
 ……だったら……。
 最近、モウンは祖母、遥香の写真を見る目が少し変わった。以前の切なさが消え、もっと穏やかな優しいものになった。
 ……もしかしたら……。
 それでも彼が自分を『女性』として見るようになるには、まだまだ時間が掛かるだろう。しかし、その時間は十分ある。
 ずっと彼は側にいるのだから。
 お玉を見る。法稔の隣にしっかりと座ったお玉がくすりと笑ってウインクしてくる。
「……私もここは誰にも渡さないんだから……」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん! なんでもないよ!」
 うらうらと暖かい日が眩しい。周囲の笑顔を眺め、自分も笑みを浮かべると優香はモウンの太い腕に抱きついた。

 穏やかな空の下、桜の花が揺れる。
「来年は優香ちゃんの合格祝いで花見がしたいね」
「……頑張ります」
「二人の赤ちゃんも一緒に連れて来られるかな?」
「そうね。十月頃に出産予定だから一緒に花見が出来ると思うわ」
 再び交わし合う未来への小さな約束。それを祝うかのように春風が皆の上に花びらを振りまいていった。

『破壊』の種族 END and 魔王軍特別部隊破壊活動防止班 END

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