二つの『家族』

 高くなった青空に筋のような雲が浮かんでいる。
 今年はお盆が明けてから、例年になく早く涼しくなり、九月になるとすっかり街は秋めいていた。
 学園祭の準備で遅くなった帰り道を急ぐ。祖母の残した家を出て、一ヶ月半。変わった帰り道にもすっかり慣れた。見えてきた古い……その分安い……アパートにカバンから鍵を出す。今日は正樹はバイトで遅くなる。明かりの着いた窓に優香は小さく笑むとドアのチャイムを鳴らし、鍵を開けた。
「お帰り~、優ちゃん」
 ドアを開けると大きな瞳のサラサラの茶髪の美少年……シオンが出迎えてくれる。
「遅かったね~、もう少しで迎えに行こうかと思っていたよ」
「学祭の準備が忙しくて……」
 2LDKのリビングキッチンに入る。普段は寒々としているキッチンは既に火の気でほっこりと暖まり、出汁の良い匂いと野菜の煮える匂いが漂っていた。
「優香ちゃん、お帰り。御飯もう少しで出来るから着替えておいで」
 湯気の向こうの人の良さそうな青年……アッシュがまな板の上で包丁を動かしながら、振り返る。
「優香、お帰りなさい」
「おお、優香、お帰り」
 リビングのテーブルの向こうでは、溜まった洗濯物を洗ってくれたのか、小麦色の肌の美女……エルゼが服を畳み、穏やかな顔の老爺……玄庵が優香の力を安定させる新しい札を書いていた。
 結局、こうなっちゃったなぁ~。
 小さく苦笑を浮かべて、兄妹で寝室に使っている小さな和室に入る。そこも綺麗に隅々まで掃除され、干された二組の布団が秋用のカバーに包まれ、折り畳んで並べられていた。

 * * * * *

『大学生と高校生の二人暮らしは無理だ』
 家を出る前、再三、モウンが言っていたように、まるで家事をやったことがない正樹と手伝う程度にしかやったことの無い優香の二人暮らしは、二週間で借りた部屋が見事に汚部屋になった。
 それでも、夏休み期間中は正樹も優香も時間があった為、大学の先輩達に助けて貰いながら、何とか家事をこなしていたが、新学期が始まるとまた汚部屋に逆戻りしかねない。
 そこで、ようやく正樹が
『せめて、週に一、二回は部屋に行って、家事や食事の世話をさせてくれ』
 何度も頼み込んでいたアッシュとエルゼの申し出を渋々ながら受けたのだ。自分がいない時間なら、という条件付きで防犯も兼ねて、優香とも過ごせるように許可してくれた。
 もっとも、モウンは絶対にこの家に近づかないという条件下でだが。
 今日はモウンが弟からの連絡で魔界に行っている為、夕食は久しぶりに四人の異形の家族と取ることになっている。
 ……でも……。
 着替えながら、優香はさっき見た、皆の様子に首を捻った。
 ……どうしたんだろう、皆……。
 シオンの身体からは、打ち身に貼る湿布の匂いがしたし、アッシュも身体を捻るとき、少し痛そうに顔をしかめていた。
 優秀な戦闘兵である二人が、事件以外でこんな状態になるのは、モウンとの訓練以外に無い。
 ……エルゼ姉さんも、最近、魔気が強くなっているみたいだし……。
 何も変わらないように見える玄庵も近頃、若干ぴりぴりした気を漂わせている。
 離れてみて見えるようになった、この一ヶ月半の家族の変化。
 ……何か、大きな事件を抱えているとか……。
 皆の様子は強い力の持ち主が相手の厄介な事件のときにそっくりだ。
「優香、洗濯物、ここに置いておくわね」
 声がして、エルゼが畳んだ服を手に入ってくる。
「うん、エルゼ姉さん、ありがとう」
「すぐ、御飯だから」
「はい」
 前の家に住んでいたときと変わらない会話を交わしながら、優香は小さく首を傾げた。

 サツマイモの炊き込み御飯に、キノコの味噌汁。鮭のホイル焼きに里芋とアゲの煮物と茄子の漬け物。
 そろそろ出始めた秋の味覚を取り入れた夕食を食べた後、優香はこれもエルゼが綺麗に磨いてくれた風呂に入った。
 最近更に伸びた髪を拭いながら、リビングに向かうと、皐月家とは違い狭い家のせいか四人が話し合っている声が聞こえてくる。
「……じゃあ、ボリス様、奥様とお嬢様を実家に帰してしまわれたのですか!?」
「ああ、奥様がボリス様のお母上も一緒に連れて帰られたらしい。間違いなく、家族に被害が及ばないようにする為の離縁だろうね」
「相手が相手だけに、どんな手を使ってくるかわからんからの」
「例の『島の別荘』に土の一族から沢山の人が送られたらしいから……」
 優香は息を飲んで、そっとリビングを伺った。
 テーブルの上に魔界と連絡を取る水晶玉を置いて、四人が囲んでいる。
「はい、班長。ええ、優香ちゃんは元気です。力の方も精神状態も落ち着いてますし、シオンが今日、真奈ちゃんや苺薫ちゃんに訊いたところ、学校の方も変わりなく過ごしているようです。……あ、はい、オレ達も調べましたが、周辺に魔族や邪霊などの怪しい気配もありません。お玉さんや法稔くんも、この辺りでおかしなことは起きてないと言ってました」
 水晶玉が魔界にいるモウンに繋がったのだろう。アッシュが報告している。
 ……皆……。
 ただ単に皆は優香の生活だけを気遣っているだけでなく、魔女として力ある者に狙われることもある彼女の安全にも気を配ってくれている。
『……オレ達は『家族』だから』
 家を出る前にアッシュが言ってくれた言葉が浮かぶ。
 ……離れていても、いつも心配してくれているんだ……。
 一ヶ月半の二人きりの生活。大学とバイトで多忙な兄に一人で過ごすことも多い優香にそれは優しく染み渡った。
 リビングに入る。四人が振り返る。
「ありがとう、皆」
 優香は礼を言うと、ずっと避けていた話題を出した。
「その……モウンはどうしているの?」
 四人が顔を合わせた後、アッシュが口を開く。
「ずっと気落ちしているよ。勿論、班長のことだから任務に私情を挟むことはしないけど……すっかり昔の破壊部隊にいた頃の気難しい班長に戻ってしまったって感じだな」
 その時代のことを知っている玄庵が深く頷き、エルゼとシオンが困惑した顔になる。
 優香はテーブルに着いた。
 水晶玉は律儀なモウンらしく、優香の声がした途端、通信を切ってしまっている。
 ……本当に真面目だなぁ……モウン。
 その不器用なまでの生真面目さが、やはりたまらなく好きだ。
 だから……。
 思いは通じなかったけど、彼の為にも優香と父の『家族』の問題を、この『家族』にも話しておくべきだと思う。
「あのね、皆。聞いて欲しいことがあるの。引っ越しのとき聞かれて話せなかった、モウンが私に二度と会わないって決めた理由なんだけど……」
 たどたどしく話す彼女のテーブルの上で握った手を、エルゼが自分の手を乗せて包んでくれる。四人の『家族』の優しい視線に、優香は父が自分を祖母に預けた本当の理由を話した。

 * * * * *

『じゃあ、今夜はこれを暖めて正樹くんにあげて。冷蔵庫に作り置きを、冷凍庫にお弁当のおかずを冷凍しておいたから』
 四人の『家族』が帰った後、優香はもうすぐ帰ると連絡があった兄を待ちながら、宿題をしていた。寂しさから、いつもつけるようになったテレビの音が頭の上を滑っていく。
『ありがとう、優香ちゃん。辛いことを話してくれて』
 父がモウンの祖母への恋心から、祖父が亡くなった後、祖母が彼と関係を持ったと勘違いしたこと。その嫌悪感を祖母そっくりの優香に向けそうになって、手放したこと。
 最後は震え声になってしまった優香をエルゼは抱きしめてくれ、玄庵がそっと精神を癒す術を掛けてくれた。
『優香ちゃん、オレ達も班長に止められていたことを話すよ。実は、オレ達は……』
 破防班、ハーモン班は魔界がまた過激派に支配され『悪魔』の世界になる前に、ひそかにその原因を摘み取る為に結成された班。
 そして、今、『土の貴公子』と呼ばれる『土の老王』のお気に入りのディギオン・ベイリアルの『土の王』就任阻止に動いているということ。
『何故か、ディギオンは自分が『土の王』に就任して自由に動けなくなる前に、この世界を『破壊』しようと狙っているらしいんだ』
 近い将来、この世界を襲ってくる彼と戦う為に、皆は今、訓練を重ねているという。
『だから、優香ちゃん。何か変なことがあったら直ぐに知らせてくれ。大丈夫、オレ達が絶対にディギオンを止めてみせるから』
 優香の脳裏に中学三年生の梅雨の終わりのベイリアル家の傍系の少年と破防班の戦いが浮かぶ。
 ディギオンは少年よりも更に強い力を持つ、ベイリアル家直系の男だ。きっとアレより、もっともっと厳しい戦いになる。
「……モウン……」
 シャーペンを持つ手が震える。
 もしかしたら四人の『家族』を、モウンを失うことになるかもしれない。
 ぎゅっと手を握る。
「私に皆の為に出来ることはないのかな……」
 思いは叶わなかったが、モウンが自分を娘として、今も大切の思ってくれているのは確かなのだ。
 それしか出来ない自分を悔しく思いながら、優香は五人の大切な『家族』の無事を祈った。

二つの『家族』 END

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