星三つ

 リビングの安楽椅子には、領主に大きすぎる水の力を厭われ、領内に入ることを禁じられて以来、一度も会ったことのない弟が座っている。パチパチと小さな火の燃える暖炉の前には、一番上の兄と兄の妻と姪が絵本を眺め、周囲のソファには父と母と二番目の兄と妹が談笑していた。
 ずっと夢見ていた光景に、思わず目をしばたく。
「シオン兄さん、こっちに来て」
 幼い頃から病気がちで、家から出ることも難しい弟。手紙くらいでしかやり取り出来ず、気に掛けていた彼が手招く。
「ずっと兄さんに会いたかったんだ」
「ボクもだよ」
 痩せながらも、頬は血色が良い弟の顔が笑む。
「良かった……元気そうで……」

 自分の冗談に皆が笑い転げたところで、ポケットから着信音が鳴る。シオンは、いつものようにスマホを取り出し、画面をタップして耳に当てた。
「……シオンか?」
 ためらいがちに流れてきた友人の声に、急に周囲の色が薄くなり、笑い声が遠のいた。
「……ポン太?」
「ああ」
 同時にシオンの頭に、この光景を見る直前の出来事が流れる。

『ポン太! そっちに回って! 挟み撃ちに!』
『法稔だ! 解った!』

 破防班の事件。ハーモン班の実力にしては、小物過ぎる相手だったが、『破壊』する相手の心の隙を突き、幻覚を見せて精神崩壊に追い込む性質(たち)の悪い奴だった。探索と解析、防御の術を得意とする法稔の助けを借り、被害者から引き離し、逃亡したところを追跡、奴と揉み合いになったときに突然目眩がして……。
「シオン兄さん、どうしたの?」
 訝しげな弟の声に顔が歪む。
「……ポン太、奴は?」
「班長が捕まえた」
「被害者の少年は?」
「エルゼさんが保護した」
「……そっか……またドジっちゃったな……」
 思わず口から出た情けない声に
「でも、奴がお前を『破壊』しようと手間取っている間に、班長達に連絡が出来たからな」
 優しい声が応えてくる。
「……そう」
 小さく息を吸う音が、スマホの向こう側から聞こえる。意を決したように友人は告げた。
「今、その幻惑の術は、私が維持している。だから……」
「じゃあ『さようなら』するから、三分経ったら術を解いて」
「解った」
「……ありがとう」
 通話を切る。
「シオン兄さん?」
 弟が首を傾げて、シオンを呼ぶ。
 今、これがポン太の術ということは、この光景は奴の術中ではなく、ボクの願望が形になったもの。
 シオンは弟の手を取ると、家族を見回し、『自分』に言い聞かせた。
「大丈夫だよ。班の人達は皆、良い人ばかりだし、どうしょうもなくお人好しの友達もいるし」
 そう、ボクは大丈夫だ。
「……さようなら」
 遠ざかる愛しい光景に、シオンはそっと手を振った。

 * * * * *

 シオンが目を開けると心配そうにのぞき込む、丸顔の少年と穏やかな顔立ちの青年……人型を取った法稔とアッシュの顔が目の前にあった。途端に身体を包む、昼間の湿気の残る七月の夜気に、あの暖炉の前の光景が本当に幻だったのだと知る。
「大丈夫かい?」
「……はい。すみません……」
 身を起こす。アッシュが安堵したように息をついて、手を差し出してくれる。シオンは、その手を掴んで立ち上がった。少しふらついた身体を法稔が後ろから支えてくれる。
「班長達は?」
「班長と玄さんは犯人を魔界に連行していった。エルゼは被害者の少年の精神ダメージが大きいので、眠らせた後、破壊修復班を呼んでいる」
「……そんな……」
 繊細な術を得意とし、精神回復の術にも優れるエルゼが、修復、回復の専門家集団である、破壊修復班の力を借りるということは……。
 一気に血の気が引く。シオンの青ざめた顔に
「彼は大丈夫だよ。シオンと法稔くんのおかげで、回復出来るダメージですんだんだ」
 アッシュが安心するように笑み掛けてくれる。そのズボンのポケットのスマホが鳴った。
「はい、ああ……エルゼ。うん、シオンは無事だ……」
 どうやら修復班の班員が着いたらしい。
「アッシュさん、姐さんのところに行って下さい」
 他班の協力現場には、通常、班長か副長の立ち会いが必要だ。
「ボクは大丈夫だから」
「私が着いてますし」
「……そうだね。じゃあ、頼むよ」
 最後の言葉は法稔に向けて、アッシュはふわりと闇に消えた。

「あ~あ、ボクが気を使わせてどうするんだよ」
 助けるはずの破防班の兵士が……シオンが自分のふがいなさを改めて嘆くと
「皆、お前のことが大切なんだよ」
 法稔が真面目に返事を返してくる。今度は顔に血が昇る。
「そこっ! しれっと恥ずかしいこと言わないっ!」
 照れて赤くなっているのを見られないように、シオンは顔を上げ、ビルの谷間から切り取られた星空を眺めた。晴れ渡った夜空には星が瞬いている。
「明るい星が三つ……今日、七夕だっけ?」
「ああ、新暦の七夕に、こんなに綺麗な星空が見えるのは珍しいな」
 雨に洗われた空に、うっすらと天の川も浮かぶ。
 年に一度、会うことを許された彦星と織姫が川を渡る夜。
「よし! ボクもアル様のお抱えの凄腕の兵士になって、堂々と家に帰るぞ!」
 そうなれば、あの臆病なくせにワガママな領主も、自分が領地に入ることを拒めなくなるはずだ。
「その意気だ。私も、お前が水の力を使えるように協力するからな」
 制御力抜群の友人の頼もしい言葉に「ありがとう」とシオンは振り返った。
「それにしてもお腹すいたな。ポン太、今夜の仕事は?」
「法稔だ。今日は一日、ハーモン班に協力する予定だったから、この後は何もない。夕食を食べに行くか?」
「やりぃ! ポン太が言い出したんだからね! ポン太の奢り!」
「法稔だ。今日は奢っても良いが……常識の範囲でだぞ」
 ウキウキと繁華街に向けて歩き出すと、大食らいをよく知る友人が釘を刺してくる。
「え~、ポン太、給料入ったばかりじゃん」
「法稔だ。……あのなぁ、なんで、お前が私の給料日を知っているんだ?」
「ん? 生活の知恵ってヤツ?」
 シオンがへらりと笑って返す。法稔が丸い肩を落とした。
「人の金を生活のアテにするな」
「……だって破防班より死神のほうが給料良いし……。ボク、皐月家の生活費に給料の半分、入れてるし……」
「その分、私は実家への仕送りがある。大体、お前はあればあるだけ使う癖をだなぁ……」
「ひ~ん、傷心のボクをポン太がイジメる~」
「法稔だっ!」
 二人で、いつものやり取りをしつつ、夜の街の人混みに紛れ込む。
 うん、ボクは大丈夫。そして、いつかきっと、あの光景を本物にする。
「ラーメンで良いか?」
「う~ん、今夜はお好み焼きが良いな」

『今、その幻惑の術は私が維持している。だから……』

 あのとき、この友人なら、そのまま術を解除して、自分を助け出すことも出来たはずだ。
 ……でも、ポン太はボクの為に、ボク自身で終わらせるかを選ばせてくれた……。
 その信頼してくれたうえでの心遣いが、とても嬉しい。
 もう一度、空を見上げる。繁華街の光に霞む中、二つの星をデネブが見守るかのように光っている。
「……鉄板焼きの店は……」
 スマホを出して検索している友人の背を叩く。
「行こう!」
 シオンは法稔の腕を掴むと、大きく足を踏み出した。

星三つ END

相談禄に戻る

inserted by FC2 system