4.遅すぎた反撃

 ようやく芽が膨らんだ森の木々の枝の間から、森の主の少女の灰色の翼が見える。場所が解らないように、塔の四階と五階の間に浮かんで、隠し書庫の様子を探っている主人を彼女を捜しに庭に出たラドは見上げていた。
 早春と呼ばれる月が始まって半月、後三日でギルの謹慎も解ける。
 その彼は、少女の足下から少し下、三階の以前学習会に使っていた部屋で、カインと共に、森の指導者から集めた手紙を今日も調べていた。
 ふわりと赤い髪を靡かせ、フェスが空で身を翻し降りてくる。それを両腕を伸ばして空で捕まえ、ゆっくりと地面に下ろすと少女は浅い春の風にすっかり冷えて、赤くなった頬を手で押さえた。
「今日も隠し書庫の結界の様子をみていたのか?」
「うん、どうしても気になって」
 冷えた身体を抱えるように肩に手を回して玄関に向かう。既にキッチンでは彼女の今日のおやつの暖かいココアと焼きたてのスコーンの用意がしてあった。
「ギルの言うとおり、書庫の結界が揺らいでいる気がするの」
 それはほんの小さな揺ぎで、結界自体に支障はないが、それでも冥界の宰相クレメンスか、魔将ジェラルドが訪れたとき以外、ピクリともしない結界に異常があるのが気になって仕方が無いらしい。
「隠し書庫の結界と森の結界については、あたしもあまりよく知らないの。冥界が出来たばかりの頃の古い複雑な結界術だから、もう少し、他の魔法をいろいろ学んでから勉強しましょうって『魔導の塔』からも言われてるし」
 始祖竜が残したという術は、攻撃魔法を除いたものは、全て各界に公開されている。どれも自動修復能力を備えた複雑な術で、各界の重要な場所で使用されているが、掛けっぱなしでも十分機能するせいか、本当にそれを理解している者は少ない。冥界ではクレメンスとジェラルドとカターリナ国の王『魔導王』ベルナルド、魔界では、魔王と術の一族と呼ばれる玄武族の元長老と彼の弟子の一部、天界でも魔導の歴史を専門に扱う神とその一族の一部くらいしかいなかった。
 そういえば、『光の竜』の長老も研究の末、理解していると聞いてたな……。
 ふと上空を見上げたラドの腕の中で
「テオ兄様なら、解るかもしれないけど……」
 去年の冬から文通をしている『追憶の海』の主の『王の子』の名を挙げて、フェスが溜息をついた。
「……でも、テオ兄様にそのことについて手紙を書いても、ダメなのよね……」
 ギルに手紙の盗み見の話を聞かせれてから、フェスは「気味が悪い……」と手紙を書いてない。
「電話も盗み聞きされているみたいだし」
 森には森の主の塔に、緊急連絡用の術で繋がれた電話があるが、こちらもフェスが調べたところ、悪意のある術が重ね掛けされていることが解った。
 フェスの細い肩がぶるりと震える。森を囲む、目に見えない悪意に怯える少女をしっかりとラドは抱き締めた。
「大丈夫だ。お前も森も俺が必ず守る」
「……うん」
 フェスがぎゅっと腰に抱きつく。
「さあ、おやつのスコーンが待ってるぞ。昼にレイナさんがギルとカインに弁当を持ってきてくれたときに、リンゴとシナモンのジャムをくれた」
「レイナさんのジャム!!」
 顔がぱっと明るくなる。
「ギル達も呼んで一緒に食べような」
「うん!!」
 少女が、どこかぎこちないが明るい笑顔をみせる。それに彼女の自分達に対する森の主としての気遣いを感じて、ラドは改めて竜の誓いを胸に刻んだ。


「旦那のスコーンって、どうしてこんなに美味しいんだろうね」
 ざっくり割ったスコーンにクロテッドクリームとジャムをたっぷり乗せてギルが口に運ぶ。口端にクリームを付けたまま、次のスコーンへと手を伸ばした彼の手を黒い手が払い除けた。
「お前はもう十分食べた」
 ギロリと金色の瞳で睨まれて、食いしん坊が首を竦めて、渋々コーヒーを啜る。
「で、そちらの作業はどうだ?」
「正直、厳しいです」
 カインが口元の銀色の毛についたクリームをハンカチで拭いた後、首を横に振った。
「若頭や頭や長老の手紙は毛筆が多くて、にじみが確認出来ませんし、鉛筆書きのものもそうですし……」
「バレないように、かなり慎重にやっていたみたいなんだよね〜」
 まだ腹に余裕があり過ぎるらしく、ギルが取り皿にクリームとジャムをよそい、スプーンで混ぜ合わせながら口に入れる。
「……でも、何か手はあるようだな」
 見ているだけで胸焼けしそうな参謀の表情には余裕があった。
「手紙をずっと見ていると、どうも今年に入ってから、アラが目立ち始めているんだ。きっと、こっちが気付いてないと油断して、作業に手を抜き始めているんだと思う」
 この言葉にスコーンを黙々を食べていたフェスが不安そうな顔になる「おい、尻尾を出すまで待つつもりか?」ラドが彼女の気持ちを代弁してツッコんだ。
「まさか」
 ギルが皿のクリームとジャムを残さず口に運んで、コーヒーをがぶりと飲む。
「そんな流暢なことしてらんないよ。アーくんのこともあるしね」
 この森に居場所が無いと出て行ったアレンのことだ。もし、森に自分の所在を知らせる手紙を送り、それが握り潰されて、返事が返ってこなかったら、二度と戻って来なくなってしまうかもしれない。
「そんな……」
 二杯目のココアのカップを置いて、今度は顔色を変えたフェスと俯いたカインに、ギルはにっこりと笑って水色の便せんを出した。
「それ……」
 揺らぐ波のように水色を濃く淡く紙に染めた便せんは、いつも色鮮やかなマリンブルーの封筒に入っているものだ。
「テオ兄様のお手紙……」
「うん、去年の年末、テオ様が姫様に『海の滴』とオルゴールを送ってくれたときの手紙だよ」
 『海の滴』とは、とある世界では真珠と呼ばれる、貝の中に出来る乳白色の丸い宝石のことだ。テオは自分達の中から森に選ばれ、森の主として外に出られない少女の為に『悲しみの涙を幸せの涙に変える』という言い伝えのある宝石を、自らの手で採っては送っている。
「実は、手っ取り早く、より確実に調査して貰うために『海の滴』を利用させて貰おうと思っているんだ」
 ギルの言葉に、まずい顔をしてフェスとラドが視線を交わした。
「どうしたの?」
「実は先日着いた手紙の中に、テオ様からの手紙があってな。ところが手紙には『海の滴』を入れた小さな小包が添えてあると書いてあったのに、その小包が着いてないんだ」
 テオが送ってくる『海の滴』は彼が採った中から選び抜いたもので、真球に近い、大粒の美しい高価な物だ。 「それでフェスと二人で、どうするか相談していたんだ」
 テオはカターリナ国の世継ぎ、その彼が贈った高価な物が無くなっていたとなれば、海から森までの郵便配達に携わる者達の責任問題に発展しかねない。心優しい少女とその下僕は、これを余り大きな問題にしたくないという思いと、折角テオがくれた大切なものを失うのは失礼だという思いで揺れていた。
「……それは正直『渡りに舟』だね」
 ギルが顔を引き締める。
「この手紙の盗み読みをやっている連中は、多分後ろ暗い奴等ばかりだろうから、そんな奴等が高価なものが目の前を通り過ぎるだけの状況を黙ってみているわけがない」
「と……いうことは?」
 ギルはにっと少しイタズラな笑顔を見せた。
「姫様、今からボクが下書きを書くから、それを森の主が他の浄化地に送るときに使う正式な書簡の便せんに写してくれないかな?」
「うん……、良いけど……」
 思いがけない頼みにフェスがラドを見る。不安げな緑の瞳にラドはギルの考えを察し、同じように笑ってみせた。
「……お前、カターリナを巻き込むつもりだな」
「……それが一番確実だと思うんだ」
「……確かに」
 二人がニヤニヤ笑い合う。フェスとカインが訳が解らないというように顔を見合わす。
「旦那は姫様が写し終わったら、それを正式な森の主の書簡にしてくれる? カインくんは今から銀狼の村に行って、ダニエルさんに、頭と千ちゃんと兄さん、族長に夕方に塔に集まって貰えるように、手配を頼んできてくれるかな?」
「はい、解りました」
 ダニエルは族長アルフの兄の親友。今は戦士を引退して、銀狼の訓練生の教官している男だ。彼なら訓練生を使いに使って、門の警備や森の巡回をしている長達に連絡を取ってくれる。
「よし! 流れがこっちに向いてきた!」
 ギルが嬉しそうに立ち上がる。
「みたいだな」
 ラドがまだよく解らないまま、不思議そうな顔をしているフェスの頭をぽんと叩いた。


 夕暮れから一刻ほど時が経った、ランプが灯る塔のリビングに、影烏族の頭、直吉と千之助、ギルの兄のフレッドと、アルフが集まる。カインと共に、彼等から貸して貰った手紙のうち、証拠にならなかったものを礼を言って返しながら、ギルは二週間前に比べて、兄同様、彼等の顔が少し明るくなったことに、安堵の息をついた。
 しかし、同時に、いつもこういう集まりには積極的に真面目に出ていた、幼馴染の白い毛並みの姿がないことに、彼が本当にもう森にいないことを改めて感じる。カインもそうなのか、異母兄がいなくて、自分がいる、とういう、いつもとは真逆な席に気まずげな顔をしていた。
 草原のオリバーからもアレンからも、まだ手紙は着いてない。間に合うことを祈りながら、皆が揃ったテーブルに、持っていた白い大判の封筒から先程、フェスが写し、ラドが形式通りに封と封蝋を押して、正式な書簡にした封筒を出す。封筒には、ランプの光の下『贖罪の森』の紋章である、木の枝と木の葉を紋章化した浮き彫りが入っていた。
 表書きの宛先は『追憶の海』の主、テオの名が書かれている。
「……つまり、こいつは姫様から、テオ様に、送って頂いた『海の滴』が紛失したことを知らせる問い合わせの書簡なんだな」
 千之助が幼馴染の思惑を直ぐに察す。
「うん。これだけの森への連絡を逐一盗み見するなんて手間の掛かることを何ヶ月もやるのは、ちょっとやそっとじゃ無理だと思うんだ」
 ギルはちらりとリビングの奥に設置された電話を見た。
「あれに掛けられている魔法もかなりレベルの高いものだというしね」
「そうなんですかい?」
 向けられた長達の確認の視線に、応接セットのソファにラドを共に座って、話し合いの様子を見ていたフェスが小さく頷いた。
「単なる犯罪者集団じゃなく、魔導士もいる、それなりに組織だった連中だと思う。だとすると街の警備隊では少し荷が重いかもしれない」
 ヒクリ……。ギルの推理にアルフの隣に座ったカインの頬が微かにひきつる。
「……なるほど……」
 納得したように直吉が、書簡を黒い指で指した。
「つまり、ギルさんは、こいつでカターリナ国の調査隊を街に呼び込もうという心積もりですな」
「その方が警備隊も安全ですし、カターリナの方から冥界王府に、今の森の状況を連絡して貰えますから」
 ギルの案に「確かに海の主が森の主に送った高価な品物が途中で紛失したとなれば、カターリナの調査隊を動かす十分な理由になる」感心したようにアルフが唸った。
 この方法を考えつく為、この二週間ちょっと、膨大な量の手紙を調べまくった弟の肩を叩いて、フレッドが労う。 「はい。ボクがもたもたしている間に、どこまで奴等が街の要所に入り込んでいるか解らないですし」
「だから、他の浄化地の警察なり、調査隊なりを呼んでしまった方が手っ取り早いうえ、確実というわけだな」
 申し訳無く謝る幼馴染を、にっと千之助が励ますように笑った。
「で、これをどうするんだ?」
 ギルはシャツのポケットから手帳を出した。
「明後日、ボクの謹慎が解けると同時に、ボクが姫様の名代として、カターリナに行って直接テオ様に渡してくる」
 それが一番安全だから。フェスが立ち上がり、これもラドに正式なものにして貰った、森の参謀見習を自分の名代とするという書簡を彼に渡す。
「テオ兄様によろしくね」
 すがるような少女に視線に、ギルはそれを白い大判の封筒にテーブルの上の書簡と共に入れると書類カバンにしまい
「任せて。姫様が気にしている書庫の結界についても聞いてくるから」
 上から叩いた。
「テオ様に、どう直接会うんだ?」
「以前、テオ様の頼みで、森に、ウィンディーネ族の海の戦士、ルチアが滞在しただろ」
 去年の初夏。罪を犯した父の魂とそれ付き添った母の魂が『贖罪の森』の湖に向かったので、彼女に遠くからで良いから、両親の眠る湖を見せて欲しいというテオの紹介状を持って、『追憶の海』から魅惑的な女戦士がやってきた。そのとき、いろいろと世話を焼いた森の戦士達に、彼女が
『もし、海に来ることがあったら、ここに来れば、あたいが海を案内してあげるよ』
 行きつけのカフェを教えてくれたのだ。ギルがそのときメモした『カンパネラ』というカフェの住所を書いたページを見せる。
「ルチアは個人的にテオ様と付き合いがあるらしい。彼女にアポを取って貰う」
「なるほどな」
 向こうに行った後の行動も完璧に計画している。うんうんと頷いた後、千之助はくるりと長達を見回した。
「では、ギルにこの件を一任してよろしいですかい?」
「異議はねぇな」
「ああ」
 直吉とアルフが、いつもの切れを見せるギルを頼もしげに見る。フレッドが嬉しげな笑みを口端に浮かべた。ソファでは、ほっとフェスが息をつく。
「頼むぞ」
 ラドが森の主の使いとして、向こうへの移動と滞在で使う旅費を入れた封筒を渡す。
ここ数日どことなく緊張していた塔の空気が、ようやく穏やかなものに変わる。だがその中でカインだけが顔を小さく強ばらせていた。


 ガタン! 音を立ててドアが開いた後、転がり込むように『あの方』から功労者として与えられている自室に入ったテリーはドアを閉め、そのまま床にうずくまった。
 ゲェ……ウゲェ……。
 えずく音が膝に額を付け、丸まった彼から漏れる。
 既に魂だけの存在で、幽魔となってからは魂以外口にしていないテリーに吐けるようなモノはなく、彼はひたすらこみ上げる吐き気にえずいていた。
「……頼む……逃げさせてくれ……」
 『あの方』に出会ってから何度も思い口にした言葉を、嘔吐の代わりに繰り返し吐き出す。
 先程……数時間前、辺りがすっかり暗くなった頃、カインから連絡があった。
 後三日で謹慎の解ける参謀見習が、謹慎開けの早朝に森を出立し、森の主の書簡を手にカターリナ国へ出掛けるというのだ。
 手紙の盗み読みの十分な証拠が取れなかった参謀は、海の主テオの送られた『海の滴』が森に着いてないことを理由に、カターリナの警察を動かすつもりでいるらしい。
 テリーの頭の中に、先程、この建物の隣の例の手紙の封を開封する作業をしている部屋での惨劇がよみがえり、またえずく。
 その話を受けたのは、あの地下の貯蔵庫の魔法陣の前で『あの方』の命令を聞いている途中だった。当然、『あの方』の耳にも入り、何者かが手紙を扱う途中に高価な海の主の贈り物をくすねたことを知って激怒したのだ。
 これは間違いなくカターリナから調査隊が、この街にやってくることになる。そうすれば、折角孤立させていた『贖罪の森』が他の浄化地と直接繋がることになり、更に自分達の計画もカターリナから冥界王府にバレてしまうことになるのだ。
 贈り物をくすねた奴は直ぐに解った。
 バカが……大金が手に入ったなら、さっさとトンズラしておけば良かったものの……。
 森の魂欲しさに留まっていた犯人は、見せしめに『光の竜』である『あの方』の発する邪悪なものを焼き尽くす光で、焼かれたのだ。
 ……それも、じっくりとなぶるように…。
 身をじわじわと焼かれ、泣き叫ぶ奴の苦痛の声を思い出し、えずく。
 ……ダメだ……逃げられない……。
 『あの方』が幽魔を手下……駒に使っている理由がようやく解った。幽魔にとって『あの方』は天敵。逆らおうものなら、その身の放つ光でいとも簡単に焼き尽くせるのだ。
「……でも……逃げて……やる……」
 テリーはようやく立ち上がった。口の周りを拭い、上着のポケットに、この一週間、入れっぱなしになっていた封書を出す。
 それは『回顧の草原』の戦士、森から出奔したアレンの叔父、オリバーが彼の父と養母に宛てた手紙だった。
 森の参謀の動きを止める為に『あの方』は警備隊に潜り込んだ仲間に、去年の暮れのカイン捜索願いのことを森の銀狼族のばらし、影烏族の若頭もろとも、今の立場から追われるよう持っていくように命じた。
 このままでは森は『あの方』の意のままになる。それでは逃げる隙が無くなってしまう。
 焼かれるのは絶対にゴメンだ。何が何でも、仲間を踏み台にしてもオレは逃げる。
 テリーはドアを開けると作業場に戻った。明かりを落とした、誰もいない部屋に焼かれた奴の幻を見て、思わず口を押さえる。
 その為には、あの参謀と若頭に諦めて貰っては困る。
 彼は明日、郵便局で入れ替える、森に配達される手紙が入った箱に、草原からの手紙を紛れ込ませた。


 謹慎開けの早朝。まだ、早春の日の出には早く、森は闇の中にある。真冬を思わせる夜気の中、ギルはコートの襟をしっかりと立てて、外に出た。
「ギルちゃん、いってらっしゃい」
 始発のカターリナ国行きの列車に乗る為、早起きしたギルより、更に早く……というより夜中に起きて、朝食と昼食用のお弁当を作ってくれたステラが声を掛ける。義姉の背後には同じように見送りに起きた、母のエマとフレッドがいた。
「義姉さん、本当にありがとう」
 出来るだけ貰った旅費は浮かしたい。そんな自分の考えを見越して用意してくれたステラに礼を言う。その背後から父と共に起きた甥のフリッツが出てきた。
 にっこり笑って『いってらっしゃい』と叔父のコートの袖を引く。
「うん。上手くいったら、フリッツに海のお土産を買ってくるよ」
 嬉しそうに声を立てずに笑う「だから、この後ちゃんともう一度寝るんだよ」フリッツがこくんと頷いた。
「じゃあ、いってきます。何かあったら、マギーさんのところに手紙で知らせるから」
 森の手紙はまだ細工されている為、街で看護師の夫と暮らす、ステラの妹のマギーの元に手紙を送る。フレッドが解ったと頷いた。
 ギルはしっかりと書類カバンの入った旅行カバンと旅券やお弁当の入ったバックを持って、きびすを返した。芽生え始めた春の若草を踏んで数歩歩いたとき……目の前の村の小道をいくつもの松明の明かりが揺れるのが見えた。
「誰だろう……。こんな朝早くに、あんなに沢山……」
 兄に火急の用か……と考えて、いやとギルはその考えを打ち消した。
 小人族と獣人族は暗視能力を持つ。勿論、夜道が昼のようにはっきり見えるわけではないので、夜の移動や警備には明かりを持つことが多い。が、急ぐときは邪魔になるので、持たないことがほとんどだ。
 サクリ……。足音がして、フレッドが隣に立つ。眉間に皺を寄せている兄の横顔を見て、振り返ると、多分彼が言ったのだろう、家のドアが閉じられ、玄関脇の窓から母と義姉と甥が心配そうにこっちを見ていた。
 ザクザクザク……。複数の足音がやってくる。松明の光に背の高い人々のシルエットが見えてくる。この森でラドやモール以外にあれだけの背の高さを持つ者達と言えば……。
「銀狼族が……何故……?」
 革鎧を着、ダガーを腰に差した銀狼族の一団は、出掛ける支度をしたギルを見ると口々に何かを言って、早足でやってきた。
 その中に「間に合った」という声があって、小首を傾げる。
 一団がギルとフレッドの前で止まる。ずいっと先頭の戦士……銀狼族の中でも古参のリーダー格の戦士がギルに向かって松明を突き出す。フレッドが弟を庇うように一歩前に出た。
「何か用ですか?」
 ギルが問う。戦士がギロリと彼を睨んだ。
「ギル、我々、銀狼族はお前と影烏族の千之助の、森の参謀見習と若頭解任を要求する」
「え!?」
 突然の言葉にギルが驚きに目を見開く。ぱくぱくと口を開けたり閉じたりして、言葉が出ない様子の弟の代わりにフレッドが口を開いた。
「理由は?」
 まだ暗いノームの村に魔獣のうなり声のような低い声が流れる。いきり立った戦士達が思わずたじろぐ。が、リーダー格の戦士は、気を取り直して、今度はフレッドを睨んだ。
「お前の弟と若頭が、俺達、銀狼族の族長の跡目争いの問題を年末に街の警備隊に告げ口したことが解った。これは我々に対する重大な侮辱だ。我々はこれに抗議する!」
「随分、勝手な言い分だな……」
 いつも沈着冷静なフレッドの声が震える。
「それは弟が主の塔で行われる、警備隊隊長、副隊長を迎えての新年会に、行方不明だったカインくんを出席させる為に、やむなく現状を話して頼んだと聞いている。族長の奥様も憔悴し、アレンくんも無理を押して探していて、とても黙って見ていられる状態ではなかったと。元はそちらの問題、弟に非を唱えている立場ではないと思うが?」
 魔獣もおののくフレッドの視線と怒りを込めた声に、どよどよとどよめきが走る。
「兄さん……」
 父が亡くなってから苦労したのもあり、家族思いの兄は家族を傷付けられることを非常に嫌う。一ヶ月前の自分とカインのトラブルには、自分が手を出したこともあって冷静に対処していたが、兄の中には銀狼族に対する怒りが溜まっていたことをギルは知った。
「兄さん、落ち着いて……」
 ギルの声にフレッドは大きく深呼吸をした。
「とにかく、弟の森の参謀見習就任は森の主の命、千之助くんの若頭就任は影烏族の取り決めだ。銀狼族のプライドを傷つけたからといって、そう簡単には覆せない。近く、三種族の査問委員会を開くから、そこに委員の方から異議を申し立ててくれ」
 三種族の査問委員会は、自分以外の種族に向けて不始末や犯罪を犯した戦士を、森の三種族全体で取り調べ、処罰を決める場だ。一団が渋々承知する。
「但し、ギルには処罰が決まるまで、当分、自宅謹慎して貰う。カターリナ国のテオ様にまで、告げ口されては困るからな!」
「え!?」
 ギルがまた目を丸くする。驚く弟をフレッドが目で制した。
「了解した」
 フレッドが答える。不満げに戦士達が帰る。
「ごめん……兄さん……」
 ギルが謝る。フレッドは口を閉じると首を横に振り、落ちた弟の肩を抱いて、家に向いた。戻ってくる二人にドアが開き、エマとステラとフリッツが駆けてくる。
「でも……どうして、ボクがテオ様に直接会うことまで、あの人達は知っていたんだろう……?」
 この森の長達の手紙が覗かれていることは、森の混乱を防ぐ為に、長達以外には黙っていて貰ったはずだ。
 ぽつりとギルが呟く。フレッドが深く頷いた。
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