3.カインの帰還

「全く……うちの次期族長候補を殴りやがって……。大体、俺は端からお前のことは気に食わなかったんだ。弱っちい最低の戦士の癖に、俺達だけでなく族長の上にまで立つなど……」
 昨夜、千之助に相談し、お千代の心尽くしのつまみで飲んだギルは、昼から春服のくつろいと仕立て直しをするという義姉のステラに、お千代が持ってくる手紙を預かって貰うように頼んで、銀狼族の村を訪れた。
「何が森の参謀だ。上に受けが良いだけのくせに、イイ気になりやがって! そのあげくが暴力事件かよ! お陰でこっちはアレンさんまで森を出て……」
 族長の息子であるカインを殴ってしまった以上、非難されるのは覚悟の上で村に足を踏み入れたが、途端に休日だったらしい年輩の銀狼の戦士に捕まって、クドクドと文句を言われる羽目に陥り、ギルは内心うんざりしながら大人しくうなだれて聞いていた。
「いいか! お前みたいな若造に森の戦士が纏められるわけが無いんだ! 謹慎が解けたら、さっさと参謀なんか辞めて、戦士なんか辞めて大人しく村で畑でも耕していろ!!」
 言いたい放題言って、男は足下に唾を吐いて去っていく。
 はぁ〜。
 肩を落として長い溜息を吐くと、ギルは気を取り直して歩き出した。
 あちらこちらからチクチクと刺さる視線に、必要に以上に卑屈にならないように背を伸ばす。そのとき、村の通りを歩いていた訓練生らしき革鎧に腰の革帯にダガーを差した少年が走ってきた。
「ギルさん!」
 アレンと一緒にいたのを何度か見たことのある少年だ。
「アレンさんがどこに行ったか、ギルさんは聞いてませんか?」
 心配そうに尋ねる彼に、ギルは申し訳なく首を横に振った。
「最後に街のターミナル駅で見掛けたって話以外、ボクも聞いてないよ」
「ターミナル駅……。ってことはやっぱり草原ですかね」
「多分」
「そうですか……」
 少年はがっくりと肩を落とし、銀色の毛並みの尖った耳を伏せた。
「皆、言っているんです。アレンさん、森の銀狼族に嫌気が差して、草原に行って草原の戦士になるんじゃないかって」
 それは……昨夜も千之助と話したが、十分にありえる。
「今はなんとも言えないけど、アーくんだって、このまま何も言わないで、姿も見せないまま草原の戦士になるっていうことは無いと思うよ。とにかく、連絡が来て謹慎が解けたらボクが一度話し合いに行ってみるから」
 責任感の強い幼馴染ならきっと……と落ち込んでしまった彼を慰める。少年は顔を上げて、ギルに頼み込んだ。
「そのときは、出掛ける前にオレ達にも知らせてくれませんか? オレ達もアレンさんにお詫びの手紙を書こうと思うんで、渡して欲しいんです」
 彼のような若手はアレンのことを差別してはいなかったのだが、多分、彼の親世代の態度から、謝らずにはいられないのだろう。真剣な顔に「解った。そのときは行く前に必ず、君達に知らせるよ」請け合うと少年は
「お願いします!」
 このことを仲間に知らせるのか足早に去って行った。
「アーくん、慕われているなぁ……」
 しみじみと呟く。が、再び歩き出しながら、ギルは眉を潜めた。
「……でも、もしボクの推測が当たっているとしたら……」
 アレンが森にいないことは、森を狙っているかもしれない連中には、またとない好機だ。
「……もし、オリバーさんやアーくんが、アルフさんに手紙を送ったとしても握り潰される可能性があるな……」
 そんなことが起きたら、アレンと話す大切なチャンスが潰されてしまうかもしれない。ギルは足を早めた。早春の気配が伺える昼下がりの村の奥に、周りの家より一段立派な家が見えてくる。族長アルフの家だ。
「こんにちは! ノームのギルです!」
 ドアの前で声を張り上げる。ドアに付いているノッカーを鳴らす。
「はい」
 銀狼族の族長の後妻、レイナの声がしてドアがギッと開いた。


 仲の良かった幼馴染のいなくなった家は、どこか別の家になってしまったような余所余所しさを感じる。
「本当にすみませんでした!!」
 おとないの声を掛けて、出てきたレイナに奥の応接室に案内された途端、部屋で待っていたらしい、カインにギルは頭を下げられた。
 あの事件の時は周囲の非難の声に、ただふれ腐れていただけなのに、打って変わったような神妙な態度に、明るい茶色の瞳をパチクリと瞬かせる。
「僕……本当に……ギルさんにも姫様にもヒドいことを言って」
 昨日、帰った後、異母兄アレンが森を出たことを母から聞かされ、仕事から帰った父に叱られ、今日は朝一で、父と共に森の主の塔を訪れて、フェスに謝ったというカインは、その中で思うことがあったのだろう、ギルにも何度も謝った。
「……いや、とにかく、理由はどうあれ暴力を振るったボクこそ、ごめんなさい」
 ギルも彼に謝り返しながら、安堵する。
 この彼の態度なら、銀狼族とぎくしゃくしていた、ノーム、影烏の戦士も怒りを収めてくれるだろう。兄や千之助も少しは気が楽になるかもしれない。
 もう一度丁寧にレイナとカインに謝罪して、席に着く。二人にも座って貰うとギルはレイナの持ってきたお茶のカップを手に取った。
「レイナさんは……その大丈夫ですか?」
 義理の息子が出て行ったせいで、彼女の顔にまた憔悴の色が浮かんでいる。だが、思いの外しっかりと彼女は微笑んだ。
「ええ、こうしてカインも帰ってきてくれたし、アレンもきっと落ち着いたら、これから先、どうするにしろ一度は帰ってきてくれると思うの」
 レイナは小さく首を振った。
「アレンは私とカインの間に入って苦しんでいたのかもしれないわ。それで、主人の言うように草原に眠っているお母さんの元に行ったと思うの。本当に私ったら、アレンが優しいことを良いことに、カインのことも、族長の跡目のこともアレンに頼りっぱなして……」
 後悔に黒い瞳を伏せるレイナに、ギルは思わず椅子から立ち上がった。
「そんなこと無いです! アーくんは本当に小さい頃からレイナさんのことが好きで……!」
 口を挟んだ彼を制して、レイナは続けた。
「だから、最近、私もいろいろ流されていたけど、元に戻ることにしたの。今度、アレンが帰ってきたら昔のように『好きにしなさい』って言ってあげようって。そしてアレンが『好き』に出来るように、私が守ってあげようと思うの」
 それが出て行った義理の息子のことを思って、考え抜いたレイナの答えなのだろう。彼女の柔らかな母の笑みに胸が熱くなる。
 ……アーくん……本当にレイナさんに愛されているんだ……。
「ボクも、アーくんが帰ってきたら、アーくんが『好き』に出来るように力を貸します。ただ、ちょっと気になることがあって、それで今日、お訪ねしたんです」
 ギルは昨日、千之助に話したことをレイナとカインにも話した。二人が顔を強ばらせる。
「……それじゃあ……」
「ええ、もしかしたら、オリバーさんやアーくんの知らせも握り潰されてしまうかもしれないんです。だから、それを防ぐ為にも、街の警備隊に捜査を依頼出来るだけの証拠を集めようと来たんです」
「解ったわ! それで、主人と私宛の手紙で良いのかしら!?」
「出来ればアーくん宛とカインくん宛のもお願いします」
 頼むギルに頷いて、レイナが部屋を出る。
「母さん、義兄さんのと僕のは僕が取ってくるよ!」
 母の背に声を掛けるとカインもまた部屋を取び出した。


 家の一番奥、森の木立に面したアレンの部屋に飛び込むとカインは部屋を見回した。
 出て行った異母兄の動揺を現すように、部屋はいつもきちんとしている彼には珍しく乱れている。脱いで置かれただけの革鎧。椅子の背に掛けられただけの革帯。机の上には直前まで書いていたのか、次の月の警備の当番表がペンが置かれたままで広げられていた。
『綺麗に片付けてしまうとアレンが帰って来ないような気がして……』
 そう言ってレイナは、インク壷をキチンと閉め、ペンを拭き、床の革鎧と革帯の手入れをした後、元の位置のままに戻していた。
 父の話だと、自分が家を飛び出したときも、その都度、部屋の片付けておかなければいけないものだけは片付けたり、手入れをして、そのままの位置に置いていたらしい。
 ドアの開く音がする度に異母兄が帰ってきたのではないかと見に行く母の姿に『これもお前のときもそうだったのだ』と父に言われ、カインは初めて自分がどれだけ心配を掛けていたのかを知った。
 異母兄が休みに睡眠時間を削ってまで自分を捜していたのは、勿論、自分を心配していたのもあるが、そんな母を見るに見かねて、でもあったのだ。
 ……ごめんなさい……母さん、義兄さん……。
 異母兄の部屋の壁に飾られた、自分の描いた家族の肖像画を見上げて、声に出さずに謝る。
 ……でも、もうすぐで、皆で穏やかに暮らせるから……。
 『あの方』の森の結界の強化が成功すれば、アレンも帰ってくるだろう。そして、父も母も異母兄も自分も、もう森に縛られることなく普通の家族として四人で暮らせるのだ。
 ……その為には……。
『参謀見習がおかしな動きをしたら逐一これに報告するように』
 カインはシャツのポケットから『あの方』に貰ったカードを取り出した。
 声を潜めてカードに呼び掛ける。
「もしもし、テリーさん? カインです。聞こえますか……」


 カードから聞こえてきた少年の声に『あの方』のいる元店舗の倉庫から、仲間の幽魔達が森に届く手紙を開封作業をしている古い住宅に移ったテリーは小さく舌打ちをした。
 谷を出て始めてあったときから『あの方』の冷徹さは感じていたが、この一年半、下っ端として使われて、無惨に捨てられる沢山の部下や仲間を見続け、それは更に冷たく恐怖を増して、彼の心に染み込んでいた。
 ……勘弁してくれ……逃げさせてくれ……。
 そもそもテリーには他の幽魔のように『贖罪の森』襲撃に対する興味も欲も無い。元々幽魔になったばかりの、邪気が薄い幽魔として『あの方』に差し出されたのだ。そんな自分が冥界一勇敢と言われる森の戦士にかなう等、爪の先程も思って無かった。
 だが、なまじ上手くカインの心を掴んでしまったせいで、しっかり『あの方』に当てにされ、抜けられないままでいる。
 その原因の声に、テリーは思いっきり顔をしかめると、声だけは人の良い優しいものに変えて、通話の魔法文字をなぞった。
「なんだい? カインくん」
 テリーの返事に、このカードの能力について若干不安だったのだろう。小さな安堵の息を吐く音が聞こえると、彼の声が流れてきた。
『実は今ギルさんが家に来ていて、森に来る手紙が誰かに盗み見をされている可能性があるから、うちに来た手紙を貸して欲しいって言っているんです』
 やっと気付いたか……。
 カインの話にテリーは嘲るような笑みを浮かべた。この森へ届く手紙を盗み見る作戦は、去年の秋の終わり頃から行っている。
 修羅が『幽魔狩り』の二人を『悔恨の頂き』におびき寄せてからだ。
 『贖罪の森』は冥王の直轄領。それでいて、浄化地が自らが望む者、育む者以外の武力を持つ者が滞在すると、その高い浄化能力が消えるという特殊さから、軍といった組織だったものを持たない。
 だから、不定期で森を訪れる『幽魔狩り』の足を止め、ちょっと手間を掛けるだけで、冥界王府や他の浄化地の情報が手に入れ放題なのだ。
『本当にギルさんの言うとおり『あの方』やテリーさんが、森に来る手紙を盗み見しているんですか?』
 蒸気で開けた封を今まさに、今日の担当の幽魔が開けて中を見ている。 その光景に笑い出したくなるのを押さえながら、テリーは答えた。
『そうだよ』
 カインが息を飲む音が聞こえる。
『『あの方』が術を完成させる為まで、冥界王府に邪魔をさせない為にね』
 先日、森の医師から先代の森の主に送られた手紙が入っているゴミ箱を見ながら、胸の内で大笑いをする。
 しかし声だけは申し訳なさそうに作るとテリーはカインに頼んだ。
『勿論、この術が完成し次第、こんなことはやめるよ。だから、カイン、君はその参謀の作業に加わって、参謀の様子を逐一報告して欲しい』
『解りました。でも……』
 カインの真剣な声が頼んでくる。
『今、義兄さん……僕の異母兄アレンが森を出ているです。それを母がすごく心配していて……。だから、異母兄に関する手紙は取ったりしないで、そのまま森に届けて欲しいんです』
 このカインの異母兄……森の守護者の一族の族長見習であり、現族長補佐の若手のリーダー、アレンがあの事件以来、森を出てしまったのも、勿論テリー達は知っている。
『なのに、どうして『あの方』は森をさっさと襲わないんだ!!』
 それを知った仲間の苛立ちの声が頭を過ぎり、テリーの中にある疑問がふっと浮かんだ。
 ……『あの方』は本当に『贖罪の森』を襲うつもりがあるんだろうか?
 結界がどうとか言っているが、森を覆う結界は本来、森の主に侵入者を知らせるもので、小魔や邪霊くらいしか追い払えない弱いものだ。
 ……今、この街に潜伏している幽魔全員で襲えば、上手くいくんじゃないか?
 『幽魔狩り』も来れない。森の守護者の三種族も乱れ始め、若手のリーダーが一人欠けている今以上の好機が、これから果たしてあるのか。
 ……もしかしたら『あの方』は『嘆きの谷』で駒にした幽魔のように、オレ達も『贖罪の森』の魂を餌に使っているだけかもしれない……。
『解ったよ。その手紙だけはちゃんと森に届くようにする』
『お願いします』
 カインの声が消える。通話を切る魔法文字を撫で、テリーは鼻を鳴らした。
 元々、彼が邪気の薄い幽魔なのは、魂を喰らい過ぎて起こる、幽魔特有の麻薬のような禁断症状を慎重に避けている為だ。
 ……冗談じゃねぇ……。折角上手くやっているのに、ここで捨て駒になってたまるか。
 通話カードとは別の『あの方』に渡された『嘆きの谷』で使ったものに更に改良を加えた、邪気を消すカードを懐から取り出す。
 テリーの望みはこれから先も、この冥界で適当に魂を味わいながら、楽しく暮らすことだ。
「それにはこれがあれば十分……」
 このカードを作った人物は、口止めの為、修羅により切られた。『嘆きの谷』で自分を使っていた白沢は、赤ん坊のような状態で『思慕の花園』の養護施設にいる。
 ……あいつらの二の舞になってたまるか!
 それにはこのカインの頼みが何かの役に立つかもしれない。
 絶対に逃げてやる!
 テリーは一人頷くと、作業をしている仲間に『回顧の草原』からの手紙は全て自分に渡すように頼んだ。


「ありがとうございます。これと昨日、千ちゃんに貰った手紙と、お千代ちゃんが持ってくる手紙とで、きっと十分な証拠が提出出来ると思います」
 レイナとカインの持ってきた手紙をギルは書類カバンに入れた。
「そういうわけで、アーくんからの連絡がなかなか来なくても、心配しないで下さい」
「はい」
 義理の息子の親友の気遣いに、レイナは頷いた。
「ボクはこれから塔に行って、姫様とラドの旦那とモール先生にこの話をして、三人宛の手紙を貰ってきます」
 先程の話はレイナさんから、族長に伝えて下さい。頼まれて、レイナが頷く。
「あのっ! ギルさん!」
 踵を返して出て行こうとするギルの背に、カインは慌てて声を掛けた。
「あんなことがあった後で、こんなことをいうのもなんですが……僕にも手伝わせて貰えませんか?」
 テリーとした先程の話を胸の内で繰り返しながら、頼み込む。
「義兄さんのこともありますし……姫様やギルさんへの罪ほろぼしもしたいんです」
「罪ほろぼしなんて、ボクは別に……」
 しかし、ギルはカインの申し出に嬉しそうに微笑んだ。
「実はキミが姫様に言ってしまった言葉で、銀狼と影烏、ノームの間に少し溝が出来てしまったんだ。でも、キミが森の為に働いてくれるなら、その溝も埋まると思う」
 じゃあ、一緒に塔に来てくれるかい? ギルが右手を差し出す。
「二人で、もう一度頑張ろう」
 それが仲直りの握手だと悟って、カインはギルの手を握る。
 掛け値の無い嬉しそうな義兄の友人の笑顔に、何故か、胸がチクリと痛んだ。
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