竜虎の戦い〜彼女を巡るハタ迷惑な真剣勝負〜

「兄様、見て、見て!まるで紫の雪みたい!!」
小さな女の子が赤い髪を揺らしながら満面の笑みで振り返る。
年の離れた愛しい小さな妹。もう一人くらい家族が欲しいと一家が待望して産まれた女の子である。
リラの紫の花が雪のように降る庭をその妹が駆けている。
北の国の遅い春。しかし、待ちわびたかのように鮮やかに競い咲く春の花が彼女は大好きだった。
父がそんな彼女の為に花木を植え、花壇を作った庭で、明るい春の日差しの中、いつも妹は楽しそうに遊んでいた。
赤い髪に付いた紫の花びらを取ってあげたのはいつの日のことだろう。
母の胎内にいるときから、冥界でも屈指の力を持ち、生れ落ちた時に『王の子』として定められ、もし何も無く成長すれば、いずれは子の無いこの国の王の養女となり、『懺悔の岬』を護るノースフィン国の女王となるはずだった。
その時は自分が彼女の兄として、臣下として、仕え支え護ろうとあの笑顔に誓っていたはずなのに…。
しかし、今、妹の姿はこの国には無い。幼い妹は『贖罪の森』の主として、その生涯を森を護る為に捧げさせられている。
以来、あの庭は彼女の姿がないまま、今年も遅い春を迎えていた。


「はぁ……。」
冥界の北、ノースフィン国の兵舎の食堂で一人の男が窓から見える満開のリラの花を見ながら深く溜息をついている。
彼の名はマチス。罪を負ったまま死んだ者の魂が集まる『懺悔の岬』のあるノースフィン国で特に勇敢な隊の一つ、白虎隊の四番隊隊長を務める優秀な剣士だ。父は国軍の四将軍の一人、母は王妃の側使えの侍女を務めているが、そんな名門の家柄に関係なく実力で若くしてこの地位に昇ったというエリート剣士であった。
しかし、今の彼にはその若きエリートとしての気迫は影も無い。
父親譲りの短く刈り上げた赤い髪も栗色の瞳も憂いの色に沈んでいる。
白虎隊の見習い剣士であるクリスは、そんな彼の普段の彼とは余りに違い過ぎる様子に首を傾げた。
違う…と言えば今日の食堂の雰囲気もいつもと違う。
いつもは厳しいものの頼りがいのあるマチスの元には何人もの兵士が集まり、賑やかに談笑しているのだが…。
今日は皆、窓際に座って溜息をつくマチスを見るとギクリと顔色を変え、マチスのテーブルには半径三メートル以内には近づかず、食事も何かに急き立てられるように早々とすまし、次々と部署に戻っていく。
「どうしたんだ…皆?」
クリスが不幸だったのは、この日たまたま、彼が模擬戦の片付けで他の隊員達とは遅れて食事に来たこと。
そして、リラの花が咲く時期になると訪れる、この日のことをまだ誰からも知らされて無かったことだ。
「はぁ……。」
テーブルの冷めたコーヒーを前にしたままマチスがまた溜息をつく。
クリスは食事のトレイを手にマチスのテーブルに近づいた。
やめろ!!寄るな!!
食堂にいる兵士達から一斉に視線が投げ掛けられるが、不幸なことに彼はいつもと違い過ぎる隊長に気を取られて全く気が付かなかった。
「隊長、どうされたのですか?」
クリスがマチスに声を掛ける。
あ〜あ、今年の犠牲者が決まった…。
同情と哀れみ、そしてどこかほっとした安堵感が食堂に流れる。
犠牲者が決まってしまえば恐れることは無い。現金なもので食堂にいつもの賑やかさが戻ってきた。
「ああ、ちょっと妹のことを思い出してね。」
「妹君ですか…?」
食堂のあちらこちらから投げ掛けられる、自分への哀れみの視線に気付きもせずクリスは彼の前の席に着いた。
隊長に妹君がいたっけ…。
以前、同じ隊の先輩剣士と彼の実家に私用で訪れたことはあったが、彼の家は整然と整えられ若い女性や子供がいるような明るい賑やかさはまるで感じられなかった。
「知らないのも無理はない。妹は今はこの国には居ないんだ。」
マチスは寂しげな笑みを口端に浮かべた。
「今は冥王様の直轄領である『贖罪の森』の主をやっている。」
「……『贖罪の森』…。」
そういえば聞いたことがある。この国からまだ幼い少女が森に選ばれ『贖罪の森』の主の責務についていると。
『贖罪の森』の主は森に選ばれたら最後、その力が衰えるまで、森からは出られない囚われ人となるはずだ。
「それは…お辛いでしょうね…。」
思わず呟くとマチスが小さく首を振った。
「それが妹の役目だからな。」
マチスの目がリラの花を見て…遠くなる。
「あの子はリラの花が本当に好きで、父がわざわざ、庭の一部にリラの木を植えて小さな東屋を造ったほどなんだ。」
「あの将軍殿が…。」
常に険しい顔で口端がピクリとも笑んだところなど見たことも無い、厳格な剣将の姿を思い浮かべる。
「この時期にその主のいない庭を見ると、どうにも辛くてな…。」
クリスは言葉に詰まった。その庭に主が戻る日はいつになることなのか…。
「すまんな。暗い話で。でも、今、妹は先代の森の主の友人だという医師夫妻を父親、母親代わりに元気にやっているらしい。」
マチスが懐から可愛らしいピンクの封筒を出して、微笑む。
「先日も便りが来てな。」
「それは良かったですね。」
クリスも微笑む。
「毎日楽しくやっているようだ…だが…!!」
マチスの顔が妹を思う、どこか寂しげな穏やかな表情から一瞬にして魔の者を倒す時の鬼の形相に変わる。
般若もの似たその様子に震え上がるクリスを見て、「ああ…今年も始まった…。」と食堂にいる兵士達から一斉に溜息がこぼれた。


「ふぇっくしょん!!」
いきなり、くしゃみの音が聞こえてきて、フェスは読み掛けの魔道書から顔を上げた。
今日も雨。ここしばらく森は春から夏に向かって降り続ける長雨の季節に入っている。
しとしとと柔らかな雨が降り続き、どこか、うすら寒い空気が塔の中にも忍び込んでいた。
リビングに塔の家政夫が入ってくる。しきりに鼻をこすり、くしゃみをしているのを見てフェスは本を閉じて、駆け寄った。
「ラド、もしかして風邪引いたの?」
モール先生に診て貰おうか?心配そうに自分を見上げるフェスにラドは苦笑を浮かべる。
「いや、いい。そんなことをしたら先生に笑われてしまう。」
脇に抱えていた洗濯籠を置くと、軽く彼女の頭に手を置いた。
ラドは今でこそ普段は竜人の姿をとっているが、本来の姿は巨大な竜である。
体力とパワーは売るほど、いや放り捨てるほどある種族だから風邪を引くということは絶対にありえない。風邪で寝込む竜など全界を探してもいないだろう。
「ちょっと冷えただけだな。」
そう笑うラドの身体は、真夏に全力疾走でもしたほど汗にまみれ、シャツが身体に張り付いている。
洗濯物を干していたんだ…。
首に下げたタオルで汗を拭くラドの姿と置かれた洗濯籠に納得する。
ここ数日の雨続きで洗濯物が乾かず、とうとう緊急処置として塔では二階の一室の暖炉に火を入れ、洗濯物を干し始めた。
大人三人と子供一人の洗濯なら数も知れているのだが、塔には森の主の主治医でもあるモールの診療所がある。
診療所から出る洗濯物が半端な量ではなく、それに対応する必要に迫られての処置だが、診療所の助手を勤めるフラウや長雨に飽きたフェスが何度手伝いを申し出ても、ラドは頑として二人をこの部屋に入れなかった。
暖炉の暑さと洗濯物の湿気で中はすごいことになっているらしい。『二人なら五分で倒れる。』と丁重に断りを入れていた。
ラドがタオルで身体を拭うが、とても大量の汗に追いつかない。
バスタオルを持って来るとフェスはラドに手渡した。
「ダメでしょ。汗かいたら、ちゃんと着替えなきゃ。」
いつも自分が彼女に言っている口調そのままに、どこか得意そうに注意するフェスの姿に、思わず苦笑いが浮かぶ。
「ほら、汗拭いて、着替えてきて。あたしが暖かいお茶を淹れておくから。」
どうやら、ちょっといつもと立場が逆転しているのが嬉しいらしい。腰に手を当てて、子供に言い聞かすように注意すると楽しそうに背中を押してくる。
まぁ…洗濯が終わったら一息つこうと思っていたし、フェスのお茶で一服も悪くない。
彼女の入れるお茶は王妃の侍女を勤めている母親から習い受けただけあって、なかなかにおいしい。
「じゃあ、ついでに昨日焼いたビスケットが棚に入っているから出しておいてくれ。」
「うん!」
ビスケット!、ビスケット!と跳ねるような足取りでフェスがキッチンに向かう。
まだまだ子供だな。バスタオルを手に肩をすくめて自分の部屋に向かう。
「ちゃんと、汗を拭くのよ〜!!」
キッチンから可愛らしい声が追い掛けて来て、思わずラドは吹き出した。


「…任務で疲れて帰ってくる父や私に、何か自分にもやれることはないかと、母からお茶の淹れ方を習ってな…。」
家に帰るといつも「兄様、ご苦労様。」と言ってお茶を淹れてくれたものだ。
遠い目をして語っていたマチスの顔がまた鬼の形相に変わる。
なのに今は!!ドンと拳でテーブルを叩く。目の前のトレイの食器が跳ね上がって着地した。
とっくに午後の訓練が始まり、食堂には自分達二人以外残ってない。皆、『頑張れよ〜。』と無言の応援を彼に向けて行ってしまった。
食堂の洗い場では後片付け当番の見習兵が首をすくめて、ひたすら洗い物に専念している。
なんか…とんでもないことになってしまった。ただ身を縮めてクリスは目の前のマチスの誰かに向けた呪詛に似た怒りをやりすごしていた。


ガタガタガタ!!
階段の方から大きな物音がして、自室で魔道書を片手に新しい魔方陣の練習をしていたフェスは思わず部屋から飛び出した。
「どうしたの!?」
暗い塔の階段ではラドが一番下の段で、散らばった本を集めている。
「いや、ちょっと足を滑らしてな。」
「大丈夫?怪我は無い?」
駆け寄ってきたフェスにラドは笑みを向けた。
「階段から落ちて怪我するような柔な鍛え方はしていない。」
とっさに翼を広げて受身を取ったらしい。大きな蝙蝠のような黒い翼を畳むと、また本を拾い出した。
「もう、本片付けるなら、あたしに言ってくれればいいのに…。」
「……三日も前からリビングに散らばった本を片付けろと言っていたのにやらなかったのは誰だ?…フェリス。」
「……ごめんなさい。」
金色の瞳で睨まれ、フェスは首をすくめて大人しく謝った。
いっしょに本を拾い上げる。長雨の退屈しのぎに、四階五階の書庫から引っ張り出してきたのだが、我ながら随分と沢山ある。
最もフェスは出すのは得意だがしまうのは苦手という、典型的な散らかし魔なのだが。
数冊を持って、いっしょに階段を上がり始めると、ラドが振り向く。
「この後、お前の部屋も片付けるからな。」
ギクリとフェスは肩を震わせた。さっき練習用の魔方陣を描く為に床一面に散らばせたものを全部ベッドの下に押し込んだのを思い出す。
「大丈夫、ちゃんとさっき片付けたから…。」
誤魔化すように笑うとラドがボソリと「……ベッドの下の物を全部片付けるのを手伝ってやるから…。」呆れたように呟く。
……読まれてる…。
乾いた笑い声を上げるフェスにラドが小さく微笑んだ。


「妹は片付けが苦手で、ほって置くと部屋中、物でいっぱいにしてしまうんだ。そのくせ怒られるからと、とりあえずベッドの下に物を押し込む癖があって…見つかって母に怒られてたな。」
べそをかくあの子を慰めながら、よく片付けを手伝ってやったよ。マチスの柔らかな笑みにクリスは息をついた。
そう、妹君の話だけなら…ちょっとクドイし長いが…可愛らしい少女の微笑ましい日常と厳格な隊長の意外な一面が見えて、楽しく聞けなくもない。だが……。
「なのに、今は!!」
マチスがまた鬼の形相で机を叩く。『ご苦労さん。』と耳元で小さく囁いて食事のトレイを下げてくれた食堂当番の兵士が淹れてくれたコーヒーのカップが跳ねる。
どうやら、今、妹君には両親代わりの医師夫妻の他にもう一人同居人がいるらしい。
そいつはどうも、マチスと同じくらいの年代の男で今、マチスと同じような立場で妹君に接しているようだ。
マチスはそれがどうしても気に入らないのだ。
もしかしてジェラシーってヤツ…?
手塩に掛けて育てた可愛い娘を嫁に取られた父親のような心境のマチスの怒りの視線を浴びて、クリスはひたすら身を小さくしていた。


「はい、姫様、ヤケドのお薬よ。」
「ありがとう、フラウさん。」
今日の診療を終えて、診療所を閉めて戻ってきた医師夫妻が見たのは、畳まれた洗濯物と出しっぱなしのアイロンをリビングに置いて、キッチンで大騒ぎしているラドとフェスの姿だった。
まだ湿り気の残る洗濯物にアイロンを掛けていて、手が滑ったらしい。フェスが軽いヤケドを負ったラドの手の甲を冷水で冷やさせ、薬を付けるとガーゼを被せて、包帯を巻いていく。
器用に包帯を使うフェスにラドは苦笑いを浮かべた。
「こんなに大袈裟にしなくてもいいだろう?」
「ダメ、どんな小さな傷でもちゃんと手当てしなくちゃいけないって、ラドがいつも言ってるじゃない。」
これじゃあ、夕食の仕度が出来ないだが…。ボヤくラドと真剣な顔で手当てをするフェスをモールとフラウが微笑ましく見ている。
包帯を巻き終えると、フェスは困った顔で二人に訴えた。
「今日は、本当にラドおかしいの。片付けの最中に棚の物を落としたり、洗い物していてコップを割っちゃたり…。」
「ほう…家事のエキスパートの君にも、そんなことがあるものなのだな。」
どこかおかしそうなモールにラドが「笑い事じゃありませんよ。」と顔を顰める。
確かにまだフェスの下僕になったばかりの頃は、失敗ばかりで塔の家事を賄っていたフラウに迷惑を掛けることも度々あったが、今では生来の器用さと凝り性もあって、掃除、洗濯、料理と完璧に家事をこなしている。
今日の失敗続きにはラドの家政夫としてのプライドにいささか傷をつけていた。
「まぁ、そういう運の無い日もありますよ。」
フラウがおっとりと笑う。
「今日は私と姫様で夕食の仕度をしましょうね。」
「うん!」
薬箱を片付けながらフェスは頷いた。
「今日は、もうラドは休んでいて。ねっ!」
白いエプロンを身に着けて、可愛いウインクを一つラドに投げると、キッチンに駆けていく。
「まぁ、たまには君も人の作った食事をゆっくり食べるのもいいだろう。」
モールが新聞を広げて呑気に笑う。
「…これ以上なにかやってドジって、フェスを心配させるのも可哀想ですしね。」
しかし…どうも夕食時に手が空いているってのは落ち着かんなぁ…。すっかり家政夫業が身に染み込んでいるラドの様子をみながら、モールが楽しそうな笑い声を上げた。


「はぁ……。」
深い溜息をつきつつ、クリスは兵舎の廊下を歩いていく。
すでに廊下は赤みを増した傾いた日の光に彩られつつあった。
『私は手当てが苦手でな。』
苦笑するマチスの顔が脳裏に浮かぶ。
確かに隊長は多少の怪我なら駆け付ける衛生兵を振り切って、手当てを受けないことがよくあった。
『そんな私が自分の手当てだと大人しく受けるからと、侍女達に教わって、『兄様は無理ばかりするんだから!』と怒りながら、包帯を巻いてくれたものだ。』
そんな兄思いの可愛い妹が今は別の男に自分と同じように接しているのが気に喰わないのは解かる…気がする。
だからといって、こっちにその怒りを向けられてもなぁ…。とクリスは今にも廊下の隅で壁に向かって膝を抱えたい気分だった。
廊下の向こうから人影が歩いてくる。それが今日の午後受ける筈だった訓練の教官と知って、クリスは慌てて敬礼した。
「すみません!教官殿!!」
最敬礼をするクリスを見て、優しく微笑むと教官は楽にするように指示を出した。
「いいんだ。君のことは他の訓練兵から聞いている。ご苦労だった。」
「はっ?」
首を傾げるクリスに教官は苦い笑みを浮かべる。
「実はいつもこのリラの花が咲く頃になると、白虎隊のマチス隊長が兵士の誰かを巻き込んで、妹君の話をするのは有名でなぁ…。」
まぁ、妹君の話だけなら、まだ良いんだが、それと同時に『あの男』への怒りをぶつけられるのは、どうにもかなわん。ゆるゆると首を振って、教官が溜息をつく。
「よく、ご存知で…。」
「五年前の犠牲者は私だ。」
……………………なるほど。深く頷く。
「そう言えば、マチス隊長が近く妹君に会いに休暇を取られるのだが、君、共に行かないかと誘われなかったか!?」
突然、教官が何か慌てたように聞いてくる。
「誘われましたが…なんだか怖い気がしてお断りしました。」
クリスの答えに教官は大きく安堵の息を吐き、肩を叩いた。
「君は実に賢明だ。」


塔の門のチャイムが鳴り、ラドが玄関の扉を開けるとそこには銀狼族の戦士、アレンが立っていた。
いつもの革鎧姿ではなく、白い毛並みによく似合う黒いワイドカラーのシャツに濃紺のコットンパンツというラフな格好だ。
「今日は休みか?」
ラドの声にアレンは頷きながら、手にした紙袋を差し出した。
「ええ。ちょっと街に出掛けてました。」
これは姫様へのお土産です。ラドに紙袋を渡す。
「ギルに聞いたのですが、最近ここのワッフルがお気に入りだそうですね。」
森や自分達を護る為に森から出られない主を思いやって、森の外に出る機会があると何か土産を持ってきてくれる者は多い。
「花屋の隣のヤツだろう?今ワッフルにハマっててな。いつもすまん、喜ぶよ。」
受け取ると甘い蜂蜜の匂いが紙袋から漂う。
「それと…。」
シャツのポケットから白い封筒を出す。
「郵便局に寄ったら、姫様宛ての手紙があったんですよ。」
森に次の郵便馬車が来るのは二日後ですから、早く読みたいだろうと思って受け取ってきました。
ラドは白い封筒の表書きの角ばった文字を見、裏の差出人の名前を見てニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど…今日の不運続きは隊長殿のせいか…。」
さすがは白虎隊の隊長殿だ。鼻を鳴らすと奥に向かって声を掛ける。
「フェス!!隊長殿から手紙だぞ!!」
「本当!!」
奥からエプロン姿のフェスが駆けて来る。
満面の笑みで手紙を受け取り、アレンにワッフルの礼を言うと早速開封する。
白い素っ気無い便箋を開いた顔がパッと明るくなった。
「ラド!兄様が今度来られるんですって!!」
あの戦いが始まるのか!!
アレンのこめかみを冷たい汗が一筋流れる。奥から「なんだとぉ!!」とモールの悲鳴に似た声が聞こえてきた。
「じゃあ、旦那、オレこれで失礼します!!」
これは早く千やギルにも知らせないと…。アレンは慌てて夕闇に沈みつつある森の小道を駆ける。
後で、姫様から日程を聞きだして、その間は塔には誰も近づかないように注意しておかないといけないな。
例の激闘に巻き込まれて被害者が出ないようにしないと…。アレンは影烏族の里に向かって一目散に走り出した。


「実はこれは不幸にも隊長の誘いに乗って共に『贖罪の森』に行った者に聞いたのだが…。」
教官が夕闇の迫る廊下で声を潜めて語り出す。
ノースフィン国軍の勇猛で知られる白虎隊の有能かつ優秀なエリート剣士であるマチスは妹に仕え、彼女の絶対の信頼を得ている竜人を目の仇にしている。
『贖罪の森』の主の住居である塔を訪れている間、鬼姑も裸足どころかダッシュで逃げ出すような、強烈な粗探し攻撃を塔の家政夫の竜人に畳み掛けるのだ。
重箱の隅を突くどころか、突き倒して穴を開け、そこから重箱を粉砕しかねないほどの苛烈な攻撃だが、対する、天界聖獣軍の元少佐も負けてはいない。
怯むどころか、完璧なおもてなしで迎えた後、強烈な粗探しを交わしつつ、鬼嫁も泣いて許しを懇願するような皮肉と毒舌の嵐で激烈な応戦に応じる。
もちろん、可愛い妹であり、大切な護り人である少女には微塵もその気配を感じさせない。
表はあくまでも友好かつ親愛関係を保ちつつ、水面下での激しい激闘は側に居る者の体力、気力を恐ろしいほどの勢いで削りまくるという。
「この話をしてくれた争いを直に経験した者は、…優秀な四番隊の剣士だったのだが…帰った後、一週間寝込んで四番隊から配置換えされたという…。」
夕日が教官の憂い顔を赤黒く彩る。クリスは自分の一瞬の判断に深く深く安堵の息を吐いた。


「え〜と、近々王都で学会が…。」
慌てて白衣の内ポケットから出したスケジュール帳をめくるモールにミネストローネの鍋をかき回していたフラウが微笑む。
「そんな予定はありませんでしたわよね。」
あなたには今度こそ、あの二人の間に入って和解をさせて頂かないと…。天界の神々が奇跡でも起こさないと不可能なことを言いつつ、目だけは笑わない笑みを逃げ腰の夫に向ける。
「フラウさん、兄様、沢山お土産を持って来て下さるんですって。」
サラダの盛り付けをしながら、フェスが楽しそうに兄からの手紙をフラウに話している。
ソファではラドが隣で腕を組み、不敵な笑みを浮かべつつ、マチスが来るまでの塔の完璧な掃除計画とおもてなし計画を立てている。
毎年の恒例行事と化している、あの激闘を思い出し、モールは項垂れると深く深く肩を落とした。

竜虎の戦い〜彼女を巡るハタ迷惑な真剣勝負〜 END


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